リュック・ボルタンスキ紹介
LUC BOLTANSKI
リュック・ボルタンスキ
パリの社会科学高等研究所(大学院大学)の教授。
専門領域にとどまらず人類学、哲学など幅広い分野にすそ野を広げる気鋭の社会学者。新しいフランスの実践的社会学派のリーダー。政治・モラル社会学センターの創設者。
略歴
ボルタンスキはもともと文学や歴史の周りを歩いていたが、学生時代の友人との交友の中で「社会学」に入っていった。社会学に興味を抱いたのは、周りの友人が語る社会学の話が面白かったからだ。そういった友人のほとんどが政治活動に関わっていた上に、ボルタンスキ自身もアルジェリア戦争末期に、左翼社会主義者連合(カソリック、左翼、トロッキストの雑然とした連合体)で活動していた。必然的に、当時社会学を政治の延長線上に捉えていた。
また一方で、個人的な理由からも社会科学は重要であった。自分自身のアイデンティテーや価値の問題(カソリックであり、ユダヤ人であり、極左であり、諸価値の尊重いった多様で、ジレンマをもたらす自分内部の性向)を直接解決してくれるようにも思えたからだ。
ソルボンヌでは、レイモン・アロンのもとで勉強したあと、ピエール・ブルデューの下で勉学を続け、ブルデューの臨時調査員を手始めに、68年から75年にかけて、ブルデューの庇護の下で研究を続けた。当時ブルデューを取り巻く若手研究者の一人として共同研究者の中で頭角を現していった。70年にはEHESS(社会学高等研究所)の主任助手に選ばれ、ブルデューと直接一緒に仕事始めるようになる。70年から76年にかけて、ほとんど毎日ブルデューや若手と一緒に夜を通して仕事や議論をし、さまざまな知的刺激を受けていった。下記の書誌のタイトルや共同研究者の名前を見れば分かるように、当時の論文はブルデュー主義そのもので、ブルデューが隆盛をほこる80年代とは違って、当時は、何度も雑誌掲載を拒まれた経験もある。
その後ブルデューとは理論面で正面からぶつかり、ブルデューと袂を分かつことになる。同時にローラン・テブノと「政治・モラル社会学グループ」を作り、組織においても対立するようになる。彼はブルデューを二つの側面に分ける。文化人類学に根ざした重要で興味深い著作と、70年代後半になってからの硬直化したアジ・プロとなっていったものとに分け、後者を手厳しく批判している。
こうして80年代に、独自の道を歩み始める。
理論の枠組み
彼の理論的な枠組みは、ローラン・テブノとの共著「Justification」で展開されている。この本で、現代社会は単純な一つの秩序によって形成されているのではなく、さまざまな秩序が編み込まれて作り上げられていると考えている。
今まで多くの社会学が、さまざまなフィールド・ワークの観察を通して、帰納法的な理論化を図ろうとしてきた。たとえばアメリカの現代社会学者マートンは、両義性、ジレンマ、アイロニーといった観点から社会を観察し、そういったものを組織化する背後にある機能原理を、顕在的・潜在的、機能・逆機能といったコンセプトに求めた。またかつての師であるP.ブルデューは、アルジェリアに始まるフィールド・ワークや現代社会の観察を通して、「文化資本」、「ハビトゥス」、「ディスタンクシオン」といったさまざまな機能原理を発見していった。
彼らの業績は、社会を単純で静態的な物や事柄の配置関係(支配―被支配、権力―抑圧)として捉えるのではなく、物と物、事柄と事柄、物と事柄、そして人と物と事柄の関係に流れる情報を実体的機能としてとらえて、それが社会を動的に構成していくことを明らかにした点で優れたものだった。しかしブルデューが発見した「文化資本」や「ハビトゥス」といった便利なインターフェイスが、学問として一人歩きをはじめ硬直化すると、事態は一変する。「ディスタンクシオン」といった概念だけでは、社会を分析することはできても、実際の社会を構成することはできないからだ。
ボルタンスキが目指すのは、社会やグループに内在し、それらを構成化するシステマチックで一貫した評価原理だ。実際、人が三人集まればグループや社会ができるわけではないし、それをグループや社会と呼ぶこともできない。そこにどのような構成原理が働くかによって、さまざまなグループや社会が構成される。その構成原理となるものを、ボルタンスキは「モラル」と呼んでいる。日本語の「道徳」とは意味合いを異にするこの言葉は、機能面に限れば「パラメータ」、「インターフェイス」といった中性的な言葉で言い換えることができる性質のものだ。そして、社会を構成するエネルギーとして働くモラルとして、「Justification」著作では、「人権」、「市場」、「透明性」、「評判」、「産業」、「家庭」という6つの「正当性の規範」を挙げている。そしてこの6つの秩序は、特別な社会領域に向かうのではなく、同じ社会空間の中に共存し、日常生活の中で相互に働き合って社会やグループを構成していると考えるのだ。こういったことを、現代のフランスの会社の管理経営トレーニングに使われているテキストの中身を分析し、非常に説得力のある証明をしている。
ボルタンスキは、さらに、1960年から1990年にかけての経営管理学の文献を体系的に分析し、計画という概念の中で重要な役割をしめる「フレキシブルなネットワーク」というコンセプトの周辺に組織化される第7番目の重要な規範と言える「結合」という規範を探求している。
一言で言えば、日常生活に内在する、批判、正当化、祝賀、口論、試練、妥協、矛盾、建設といったさまざまなコンセプトを巡って、社会やグループがどのように構成されるのかを探求しているのだ。
ビデオ討議を進めるためのいくつかのアイデア例
以下のような事柄を具体的に考えると面白いのではないかと思います(あくまで参考)。自分の実感に即した疑問をぶつけるといいと思います。
l 場所をもたない新しい公共空間―たとえばインターネットやテレビで結ばれた世界では、どのようなレジーム(規範)が、どのようにジュスティフィカシオン(公平)を形成していくのか。
Ø 今までの社会と違う要素はないのか。
² 空間の広がりが、レジームを変えることは確かだ。
l 日本では車社会になったとき、犯罪の検挙率が一挙に落ちた。
l それは警察が今までと同じような地元への聞き込みを捜査スタイルとして取っていたからだ。しかし犯人は車によって外から来て外へ逃げていくスタイルをとっていた。警察と犯人は明らかに異なった空間で世界を組織していたのからだ。
l 同じような事態が、現在起きつつあるのではないか。
l 社会は意見の対立や矛盾として現れる場として形成されていく。しかしテレビといったメディアが結びつけ生み出される場は、特殊ではないのか。テレビを見ることはできても、テレビからは見えないという一方通行の場だ。それは社会を形成する「正当性」をどのように形成していくのか。あるいは歪めていくのか。生活空間の中で、現代ではこういった空間と時間が多くを占めるようになっているのではないか。
l 娯楽というものが一大産業になって、産業が物の生産、消費のサイクルから社会の構成を大きく変えているのではないか。
l ドラマやサスペンスやホラーといった映画テレビはなぜ面白いのか。そしてそれは社会を構成する上でどのような役割を果たしているのか。
l 映画はカメラを通して、私でもなくあなたでもない第三の不思議な視線を提供する。そこでは、私―映画(映画の中の主人公に自己投影する私―映画の中のあなた-この両者を見る第三の目であるカメラ)という複雑な入れ子型の視線を構成するが、テレビの中で展開される日常生活バラエティーショーや覗き見レポートショーでは、カメラは第三の視線を構成していない。想定された私(これは私にも関わらず、みんなが同じ視線を持つ特別な私)と対象が作り出す単純な関係だ。そういった番組が好まれる現代は、どのような社会を構成しようとしているのだろう。
l 人間の時間を区切る死は、社会を構成する上で、現代ではどのような働きをしているのか。
l 性は現代社会を構成する中で、どのような役割を果たしているのか。
l 家族という単位は、現代社会ではどのような役割を担わされているのか。
l 管理職という役割を生み出した力学はどのようなものか。
l 個人と組織の理想的な関係とは。
l ギリシャ悲劇に見られる愛と権力の相克は、現代社会を構成するさいにも大きな力となっているのだろうか。
l 日本ではやった「いえなき子」では、「同情するなら金をくれ」というセリフで有名になった。そういったセリフが日本ではリアルとクリティークの狭間で浮動しながら、大きくの人にある種のインパクトを与えた。フランス社会に住むフランス人として、あなたはこのセリフを、どのように感じますか。
l グローバリズムとグローバル時間が、外側からローカル空間とローカル時間を解体するとき、それに対抗する内在する社会構成原理は何か。
l 差異があるときは多様性となり、あるときは差別になっていくメカニズムは、どのように働くのか。
l 資本主義というすべてを自由に交換可能なシステムはどのように生み出しされたのか。
l 速度が現代の社会構成にもたらしている影響。
l 現代資本主義を構成してるのはどのようなレジームなのか。
主な書誌
l Prime éducation et morale de classe, 「幼児教育と階級モラル」1969. 処女論文
l Taxinomies populaires, taxinomies savantes: les objets de consommation et leur classement (民衆の分類、知識人の分類 : 消費物とその分類), Revue française de sociologie, 11(1), 1970,
l Boltanski (Luc), Maldidier (P.), " Carrière scientifique, morale scientifique et vulgarisation " 科学のたどる道、科学のモラルと普及, Information sur les sciences sociales, 9(3), 1970, p. 99-118.
l Les usages sociaux du corps 肉体の社会的利用 Annales E.S.C, 26(1), 1971, p. 205-233.
l Un art moyen - Essai sur les usages sociaux de la photographie (中間芸術―写真の社会的利用についてのエセー(1974)ブルデューとの共著
l Les banques de données dans le système statistique public "公共統計システムの中のデータバンク, Actes de la Recherche en sciences sociales, janvier n°1, 1975.
l La constitution du champ de la bande dessinée "漫画というフィールドの構成, Actes de la Recherches en sciences Sociales, 1, 1975, p.37-59 .
l Les usages sociaux de l'automobile:(自動車の社会的利用) concurrence pour l'espace et accidents ", Actes de la Recherches en sciences sociales, 2, 1975, p.25-49.
l Pouvoir et impuissance: projet intellectuel et sexualité dans le Journal d'Amiel "(権力と不能―アミエルの日記における知的プロジェクトと性), Actes de la Recherches en Sciences Sociales, 5-6, 1975, p.80-108 .
l Note sur les échanges philosophiques internationaux (国際哲学交流についてのノート), Actes de la Recherches en Sciences Sociales, 5-6, 1975, p.191-199.
l Boltanski (Luc), Bourdieu (Pierre), " Le titre et le poste: rapports entre le système de production et le système de reproduction ",(資格と地位―生産システムと再生産システム) Actes de la Recherche en Sciences Sociales, 2, 1975, p.95-107.
l Boltanski (Luc), Bourdieu (Pierre), " Le fétichisme de la langue "(言語のフェティシズムについて), Actes de la Recherche en Sciences Sociales, 4, 1975, p.2-32.
l Boltanski (Luc), Bourdieu (Pierre), " La critique du discours lettré "(教養人の論説への批判), Actes de la Recherche en Sciences Sociales, 6, 1975, p. 4-8.
l Boltanski (Luc), Bourdieu (Pierre), " La lecture de Marx: quelques remarques critiques à propos de Quelques remarques critiques à propos de "Lire le Capital"(マルクスの読解 :『マルクスを読む』についてのいくつかの批判的注釈についての批判的注釈) ", Actes de la Recherche en Sciences Sociales, 5-6, 1975, p.65-79.
l Boltanski (Luc), Bourdieu (Pierre), " L'ontologie politique de Martin Heidegger ",(ハイデガーの政治的存在論) Actes de la Recherche en Sciences Sociales, 5-6, 1975, p.109-156.
l Boltanski (Luc), Bourdieu (Pierre), " Le langage autorisé. Note sur les conditions sociales de l'efficacité du discours rituel "(権威ある言葉―儀礼的論述が効力を持つ社会的条件), Actes de la Recherche en Sciences Sociales, 5-6, 1975, p.183-190
l Bourdieu (Pierre), Boltanski (Luc), " Le fétichisme de la langue "(言語のフェティシズム), Actes de la recherche en sciences sociales, 4, 1975, p.2-32.
l Boltanski (Luc), Bourdieu (Pierre), " Le sens pratique ", (実践感覚)Actes de la recherche en Sciences Sociales, 1, 1976, p.43-86
l L'encombrement et la maîtrise des "biens sans maître"(過剰飽和と持ち主なき財の制御) ", Actes de la Recherches en Sciences Sociales, 1, 1976, p.102-109.
l Bourdieu (Pierre), Boltanski (Luc), " Les professeurs de l'Institut d'études politiques "(政治学研究所の教授たち), Actes de la recherche en sciences sociales, 2-3, 1976, p.66-69.
l Bourdieu (Pierre), Boltanski (Luc), " Un jeu chinois : notes pour une critique sociale du jugement "(奇妙なゲーム-判断についての社会的批判のためのノート), Actes de la recherche en sciences sociales, 4, 1976, p.91-101.
l Bourdieu (Pierre), Boltanski (Luc), " La production de l'idéologie dominante ",(支配イデオロギーの生産) Actes de la recherche en sciences sociales, 2-3, 1976, p.4-73.
l Les cadres autodidactes ",(独学の幹部) Actes de la Recherche en Sciences Sociales, 22, 1978, p.3-23.
l Taxinomies sociales et luttes de classes. La mobilisation de "la classe moyenne" et l'invention des "cadres" (社会分類と階級闘争―中産階級の動員と幹部の発明)", Actes de la Recherche en Sciences Sociales, 29, 1979, p.75-105.
l L'université, les entreprises et la multiplication des salariés bourgeois (1960-1975) "(大学、企業とブルジョワサラリーマンの増加), Actes de la Recherche en Sciences Sociales, 34, 1980, p.17-44.
l America, America... Le plan Marshall et l'importation du management ",(アメリカ、アメリカ・・・マーシャルプランとマネージメントの移入) Actes de la Recherches en Sciences Sociales, 38, 1981, p.19-41.
l Les cadres. La formation d'un groupe social,(幹部―社会グループの形成) Paris, Minuit, 1982
l Boltanski (Luc), Thévenot (Laurent), " Finding One's Way in Social Space : A Study based on Games ",(社会空間の中で自分の道を発見する。ゲームにもとづいた研究) Social Science Information, 22 (4-5), 1983, p. 631-680
l Boltanski (Luc), Darré (Yann), Schiltz (Marie-Ange), " La dénonciation "(命名), Actes de la recherche en sciences sociales, n°51, mars 1984.
l Boltanski (Luc), Thévenot (Laurent), Dir., Justesse et justice dans le travail, (仕事における適正と公正)Cahiers Du Centre d'etudes de l'emploi, Paris, PUF, 33, 1989.
l L'amour et la justice comme compétences. Trois essais de sociologie de l'action, (決定能力としての愛と公正―行動の社会学につていの3つのエセー」Paris, Métaillé, 1990.
l Sociologie critique et sociologie de la critique ",(批判社会学と批判についての社会学) Politix, 10-11, 1990.
l Boltanski (Luc), Thévenot (Laurent), De la justification. Les économies de la grandeur, (正当性―尺度の経済学)Paris, Gallimard, 1991.
l La souffrance à distance. Morale humanitaire, médias et politique, (遠く離れた場所で苦しみを共有する-人道的モラル、メディアと政治)Paris, Métailié, 1993.
l Poeme (詩) 10/1993
l Dissémination ou abandon : la dispute entre amour et justice. L'hypothèse d'une pluralité de régimes d'action ",(散布か放棄か―愛と正義の間での口論。行為の規範が複数であることの仮説) in Ladrière, P., Pharo, P., Queré, L., La théorie de l'action. Le sujet pratique en débat, Editions du CNRS, Paris,1993, p. 235-259.
l La présence des absents ",(不在の存在) Les cahiers de la Villa Gillet, n° 2, 1995, p. 51-71.
l Boltanski (Luc), Godet (M.-N.), Cartron (D)," Messages d'amour sur le Téléphone du dimanche ",(日曜の電話の愛のメッセージ) Politix, n° 31, 1995, p. 30-76.
l Critique sociale et sens moral. Pour une sociologie du jugement ", (社会批判とモラルの意味―公正の社会学に向けて)in, Yamamoto, T., Andrew, E. G., Chartier, R., Rabinow, P., (eds.), Philosophical Designs for a Socio-Cultural Transformation, EHESS, Rowman & Littlefield Publishers, Tokyo, 1999, p. 248-273.
l Boltanski (Luc), Thévenot (Laurent), "The Sociology of Critical Capacity",(臨界能力の社会学) European Journal of Social Theory, vol. 2, n° 3, august 1999, p. 359-378.
l Boltanski (Luc), Chiapello (Eve), Le nouvel esprit du capitalisme, (資本主義の新しい精神)Paris, Gallimard, 1999.
l Une sociologie sans société? ",(社会のない社会学?) Le genre humain, 1999-2000 , p. 303-311.
l The Legitimacy of Humanitarian Actions and their Media Representation : the Case of France",(人道的行為の正当性とメディアでの表現―フランスの場合) Ethical Perspectives, vol.7, n° 1, 2000, p. 3-16.
l La cause de la critique (I) ",(批判的立場) Raisons Politiques, 3, 2000, p. 159-184.
l La cause de la critique (II),(批判的立場) Raisons politiques, 4, 2000, p. 135-159.
l La philosophie politique à l'âge de la biopolitique. A propos de Politiques de la nature de Bruno Latour ",(バイオポリティークの時代の政治哲学。ブルーノ・ラトゥールの自然にかかわる政治について) Esprit, juillet 2000.
l A l'instant (たった今)Luc Boltanski C. Boltanski 03/2003
インスタレーション作品で有名な芸術家の弟、ピエールとの共著。それぞれ自分の専門から、言葉や画像のイメージの間の関係を探索する。
l La gauche et la révolution totale (左翼と全体革命) 09/2003
l La condition foetale (胎児の事情)2004