フランソワ・ドッス 紹介
フランソワ・ドッス
1950年9月21日生まれ
略歴
●Titres universitaires(履歴)
研究指導資格修得
提出論文「知的歴史の道標―学派、パラダイム、書誌」2001年
博士論文「1968年以降のメディアにおけるアナール学派」1983年
●Enseignement universitaire(教歴)
2002年以来 l’IUFM de Créteilの大学教授。
パリ13 (Villetaneuse)大学とパリ12(Créteil)大学で教えている。
パリ政治研究所の主任講師 1994年から。
I.H.T.P の客員研究員 1998年から。
Versailles/Saint-Quentin-en-Yvelines 大学の文化史センターのメンバー 1998年から。
「構造主義とポスト構造主義について」、クリティカル・スタディーズのパリセンターで講義1988-1991年。
●Autres responsabilités collectives(その他の要職)
雑誌 EspacesTempsの共同編集者 1984年から。
ブラジルO Olho da Historia, Revista de Historia Contemporanea 誌の協力者 1996年から。
Membre du Consell Assessor de la revue L’Espill, Universitat de Valencia, Espagne depuis 1999年から。
Collaborateur, membre du conseil scientifique de la revue メキシコHistoria y Grafia誌の科学アドバイザー、協力者 2000年4月から。
思索フィールド
一般的に歴史を考える場合、ミシュレや司馬遼太郎が描く歴史や歴史小説を思い浮かべることができるでしょう。しかし、歴史家や作者が、歴史の登場人物に私として入り込むような歴史は、主観的な歴史であり、客観性を保つことはできません。当然、多くは勅撰史観や権力の側から見た歴史に結びついていきます。
そういった史観から脱するために(直接には第一次世界大戦を契機に)、フランスでは、マルク・ブロックを始祖として、星座のように多くの歴史家が「アナール」という歴史学年報(1929年―)に集まりました。そして「政治権力史」から脱するために、「全体史」や「生活経済史」、後に「心性の歴史」、あるいは70年以降には、エマニュエル・ル=ロワ=ラデュリ「人間のいない歴史」といったものが生まれてきます。
ここで、注意すべきは、『粉々になった歴史』でドッスが明らかにしているように、マルク・ブロックにしろ、リュシアン・フェーブルにしろ、出発点は、かなりはっきりした政治的な意見を持っていたという事実でしょう。
「アナール」には、年報創刊期、大戦後、70年代以降と、三つの時期を経て、さまざまな人々が集まっていますが、単純な権力史観で世界を構成しない(逆を言えば、政治史・権力史は、書かれない虚焦点となっている)という点では、共通した世界が広がっています。
例えば、武田信玄が霧の川中島の戦いに出陣したという有名な歴史はご存知でしょう。川中島の戦いの原因や理由を権力の観点から捉えれば、それを理解することは容易です――たとえば彼が天下を取るための戦略であるとか、さらに多くの経済基盤を獲得するためといったように――。しかし実際には武田信玄が一人で戦争をしたわけではありません。戦争を実質的に支えたのは当時の民衆であり、農民であり、武装集団です。そういった人々が戦争という状態を受け入れることによって、あるいは受け入れざるを得ない状態に追い込まれることによって、戦争は発動するのです。戦争を受け入れる、あるいは受け入れざるを得ない生活や文化といったものを抜きにしては、歴史を動かす本当のエネルギーを見失ってしまいます(生活文化史)。
文化や社会は人間が作り出しているものである以上、そこに支配するものと支配されるものがあり、その間に関係が生じているとするならば、その両方の側から情報が流れているのです。そしてどちらが優位な情報であるかが問題となるのではなく、そこで生まれるある種のレジーム(ある一定の均衡状態)が歴史を紡ぎだすエネルギー主体となっていくと考えるわけです(心性の歴史)。
そういったレジームを描き出すために、アナールの歴史家たちはアルシーブ(古文書)を丁寧に採掘し、全体史を描き出しました。
しかし全体史を描くためには、実際にはかなり客観的な記述をする必要がでてきます。登場人物全てが主人公の物語なんて誰も読みたくはないでしょう。こういった客観的な記述を押し進めようとする歴史家の流れ(人間のいない歴史)に対して、歴史は客観的なものなのか? という問いが出てくるのは自然の流れでしょう。
フランソワ・ドッスは、人文学の中で人間の復権を図ります。客観的な事実というのはあるのでしょうか? 認識主体と認識対象としての事物を分離したのが近代の合理主義だといわれています。歴史が客観的な事象であるなら、近代合理主義にとっては都合のいい世界で、事は簡単かもしれません。しかし、歴史とは人間が事物や人間との関係の中で作り出すものです。そして人間が構成しているものです。つまり、主体である人間と対象である歴史的な事象とは、事前に切り離すことは絶対にできないという前提の上に成り立っている学問です。
アナール学派は「すべての歴史は現代史である」と語ります。現代史という「生きた歴史」は、全体史に書かれた関係をもとにしながら、実際には、人々はどのような方向に、どのような情報を流していくのかという人間のかかわりが歴史を作り上げていくのではないでしょうか。
ドッスはこういった流れを思想史として丹念に追っていきます。
参考文献
Publications(出版)
L'histoire en miettes, des Annales à la Nouvelle Histoire,(粉々になった歴史)Paris, La Découverte, 1987 - Presses-Pocket - Livre de poche, 1997.
フランスの歴史学の推移を、アナール学派の生成から現在まで、思想史として綿密にたどった著作。
邦訳文献
●ショーニュ/ドッス『歴史のなかの歴史家』仲澤紀雄訳、国文社、1996
師であった、ピエール・ショーニュとの対話。
●『構造主義の歴史』(上)清水正・佐山一訳、(下)仲澤紀雄訳、国文社、1999
(上)構造主義を思想史として理論の内側からたどった現代思想の俯瞰図。 123人にも及ぶインタビューを経て、思想の生成の現場である人と人の出会いを丹念に追い、お互いの影響関係の中でどのように思想が形成されていったのかを物語る。と同時に、大学の硬直化したシステムに対する反抗であったことを明らかにしながら、歴史という時間の中で、どのように思想が開花していったのかを検証する。
(下)今までヴァンサン・デコンプやジョナンサ・カラーといったイギリス人やアメリカ人がフランス思想を整理してきたが、初めて本格的にフランス思想を内側からたどり、思想史として整理をした著作。その後構造主義がどのような道を歩んだのかを物語る。
●『意味の支配―人文科学の人間化』仲澤紀雄訳、国文社、2003
デリダ・フーコー・バルト以降のフランス知識人の現況。メディアに取り上げられ、あらゆる分野でその影響力を行使するわずかな数の哲学者と、孤立し共通の言語を失った学者社会とに分断されている状況をつぶさにレポートし、構造主義やアナール学派に共通する静態的な学問スタイルに、再び人間や時間を組み入れる試みいれる新しいパラダイムを提起する。