Bernard Stiegler ベルナール・スティグレール

 略歴

 ベルナール・スティグレールは、1952年フランス生まれ。

Ircam(Institut de  Recherche et Coordination Acoustique/Musique 聴覚音楽の連携研究所)所長。哲学者。国際哲学院の研究所長、コンピエーニュ大学の知識・組織・技術システム研究部の部長および教授。国立視聴覚研究所の副所長。

 1987年にはポンピドゥー・センターで「未来の記憶」展を組織。「メディオロジー」という新しい分野をレジス・ドゥブレと共に中核で担う一人でもある。

 武装強盗によりSt-Michel de Toulouseの牢獄で5年間を過ごし、存在とは何かを考える中で哲学者となる。1983年出所。この特異な履歴をある対談で「哲学の道に入ったのは偶然です」と語っています。その後10年間かけて技術の本質と人間の本質との関わりに関する考察を書き上げ、全部で四巻からなるLa technique et le temps『技術と歴史』の第一巻を1994年に出版。その後、執筆や講演やメディアで多くの仕事をしている。

メディアとの関わりで言えば、デリタとの対話を映画にそのまま収録したり(Echographies de la Télévision』テレビのエコー検査)、ハイデッガーのヘルダーリン論ができるプロセスをドキュメントとして追った映画(「The Ister」)では中心的な役割を演じています。

オーストラリアの監督が制作した「The Ister」イスター川(ドナウ川南部の古称)というドキュメント映画は、先の2004年7月7日にフランスのドキュメンタリー映画祭で研究映画賞を受賞に輝きました。この映画のためにマルセイユで7月5日に開かれたテーブル会議で、フランスのマルチメディア・アーチストGregory Chatonskyが、ハイデッガーの思想とナチズムとの関係にかかわる部分の編集方法に対して批判を浴びせ、それに応じたスティグレール、そして観客(映画を見た観客のほぼ四分の一に当たる100人ほどが参加)を交えて激しい論争が展開されました。

思索フィールド

ハイデッガー

スティグレールは人間の本性、記憶の特性、モラルの意味といったこととの関わりでハイデッガーを深く読み込む。しかし彼から大きな影響を受ける一方で、人間は基本的には技術的な生活をしており、人間にとってすべての過去への接近と死の知識は、技術上の道具との関係によって生まれているとスティグレールは考えており、ハイデッガーはこの事実をつかみ損ねているとして批判しています。

技術思想

技術と文化

スティグレールは技術をテクネーとメカニズムに分けます。そしてテクネーは人間が環境世界の中で生きていくための外部環境とのコミュニケーションであり、それが人間と文化そのものを形作るものであると考え、人間の根幹をなすものだと考えます。一方で近代技術(メカニズム)は管理技術に見られるように、内部調整技術であり、多くは人間と外部環境とのコミュニケーションを遮断するものであり、これを徹底的に批判します。

文化と技術の関係を考えてみましょう。当然、文化を形而上的なものとして現実の関係を遮断して捕らえるのべきではなく、政治―文化―技術の三角形の関係の中でとらえるべきだと考えます。そしてそれらの間を繋いでいるものが何か、そしてその繋がれた経路をどのような情報が流れているのかが非常に重要だと考えるのです。

実際、文化のコンテンツそのものは、現実と全く切り離されたものではなく、現実の事物の組織化(MO matière organisée)である(たとえば「こうもり傘とミシン」といったように二つを並べ、そこに生まれる情報の流れが意味を産出するわけです)と同時に、事物そのものも現実の諸関係の事物化(OM organisation matérialisée)と言える(たとえば印刷という技術は、多くの人が同じ知識を等しく共有できるような関係が物質化し事物です)わけです。

こういった意味では、社会や技術を横断する伝達作用(Transmission)がいかなる象徴をもたらすのかということが、文化においては大きな役割を果たしていることが分かるでしょう。

こういったことを具体的に検証することが「メディオロジー」(ドゥブレ・シモンドン・スティグレールなどが牽引)ということになります。そこでは、人間と文化を作ってきたさまざまな技術を時代によって「口承圏」「文字圏」「映像圏」(ドゥブレによる分類)といったように使われる主な技術との関わりで考えていきます。

技術思想における起源での誤り

スティグレールによれば、今までの学問はギリシャ哲学(プラトン以来)の伝統に従って、永遠・本質・形而上学(不動の原理)と経験・感性・技術(不確かなモノ)とを分離し、技術を下位に置き、形而上学のみを学問としてきた。が、果たしてそれは正しい問題設定であったのかと考える。

実際、ホモ・ファーベルとして道具を使う事が、人間と文化を作り上げていると考えているではないか。人間にとって技術とは些末なものではなく、逆に人間である事の本質であるのではないのだろうか。

アンドレ・ルロワ=グーランによれば、身体はすでに自然に対して最初の道具となっている。実際身体を道具として自然に働きかけ、利用する事によって人間としての文化が生まれているのだ。さらに歴史をたどれば、ヒッタイトの楔形文字は、表、一覧、目録、日付の記入と言った新しい文化を生み出し、シリア・フェニキア人からギリシャの都市に伝わったアルファベットは、初めて神々や預言者によらない人間による人間の統治を生み出した。

このように考えていけば、技術を抜き去って文化や人間といったものが存在しえない事は明らかだけではなく、それ以上に人間と文化を作り上げてきたのは技術といえるのではないか。ロゴスとは、本来生活を取り囲む技術であり、外部環境とのコミュニケーション技術を指すものといえるのではないかと考えるわけです。

有機物と無機物

 ドゥルーズがすでにこのことについては指摘していますが、技術に対するもう一つの誤解は、有機物と無機物に世界を分けてしまう事です。そして生物は良い、機械は悪いといった誤った判断を簡単に下してしまう危険があります。

 文化や思想といったものは通時的に伝わっていきますが、技術も同じように通時的に伝わるものです。そしてちょうどDNAの二重螺旋のように、二つが一体化して一つの意味を作り上げているのです。

記憶の産業化

 受信と送信を分離する事によって、記憶の産業化が始まります。そういった社会がどのようなものなのか、以下に講演から抜粋します。

参照

文化と社会の新しい空間についての講演(19961119-23日)

 20世紀は、情報コミュニケーション技術を発展させているプログラム産業による記憶の産業化の世紀と呼ばれるようになるでしょう。記憶はすべての社会のベースです。ですから、記憶の産業化は、すべてのコミュニティーの未来の根幹を襲うプロセスなのです。19世紀にその概要をあらわにし、第二次世界大戦後に大幅に強化された記憶の産業化は、今、過去の連続性から断絶した非常に急激な変化を遂げています。

 情報・テレコミュニケーション技術の発展は、もはや人間の生命機能を人工器官へ外在化するプロセスを追い求める方向には進んでいません。今日まではそれが環境の人間化という基本基準となっていたものでした。

 先史的な技術の大部分は、これから証明するように、社会を構成することができるようにするために個人の記憶を外在化する媒体となるものでした。定住とともに、とくに記憶の保存を目的とした技術は、消え始めました。それに続いて記憶術については3つの時代に分けることができるでしょう。文字の時代、アナログの時代、デジタルの時代です。最後に、新しい時代はアナログーデジタル時代には、何がメディアとプログラム産業の根本的な変化を作り出しているのかを提示するつもりです。討議の中で分析し論議を深めるのはこの新しい時代の技術的、工業的、文化的、社会的な関係です。

主な書誌とその概要

l       La Faute d'Epiméthée  - Technique et le temps T1 (技術と時間 第一巻)

Galilee ;  01/1994

技術の目標とはなんだろう。

 西洋哲学の始まりのころ、アリストテレスは、自然によって作られるもの(それ自身の内部に動きと休止の始まりを持つ)と人間によって作られたもの(自分自身の中に生産の動因をもたないもの)とを対比させた。第一巻であるこの本は、アリストテレスの論議を再び取り上げ、革新的な再解釈を展開する。彼は、技術が作り出したものもそれ自身はっきりと時間性とダイナミズムを持ちえると考えるのだ。

 アリストテレスの考え方は、技術の可能性と進歩を考えていたマルクスにいたるまで、形を変えながら続いてきた。機械と生物の間に宿る技術生成物は、異質で複雑な力となっていった。機械技術と生物技術が平行して発展し、産業化が現代の社会組織と知識秩序を破壊する中で、技術は哲学的問いのなかで新しい地位を獲得した。技術拡張が広範に広がり、科学がより道具や手段に支配されるようになった世界に、初めて哲学は直面したのだ。しかもその技術拡張の目的は、経済闘争や戦争といったものに支配されたものであり、それにしたがって認識―知識の地位は変わっている。この新しい関係から生じたパワーが二つの戦争の間に解き放されたのだ。

 アリストテレスの技術論の査定の歴史を紐解きながら、本書では幅広く思想家(ルソー、フッサール、ハイデッガー、ルロワ=グーラン、ヴェルナン、デティエンヌ、ウェーバー、ハバーマス、マトゥラナ、ヴァレラ)を検討していく。

l       La Technique et le temps  - Technique et le temps T2 『技術と時間』第二巻

Galilee ;  02/1996

デジタル化と記憶の産業化の発展に伴う問題の理論的検討。

l       La technique et le temps  - T3 Le temps du cinéma et la quetion du mal-être 『技術と時間』 第三巻

Galilee ;  broché ; essai  ; 10/2001

用語や引用が難しさを感じさせるし、一方で映画の美学そのものも政治状況の中に組み入れられてしまう点で、批判の余地はあるが、ともかく根本的な哲学的批判と現代のハイパー権力に対する戦いを結びつけたという点では大胆で知的勇気にあふれた本(Jean-Michel Frodon, Le Monde, 29/03/2002) ル・モンド紙の書評から

l       Echographies de la Télévision』テレビのエコー検査

Jacques Derridaとの対話()

現代社会における技術の役割について。

テレビやインターネットは、常時外部世界(オリンピックのような遠くの出来事、外国語などによって)を家庭内に導きいれる私たちの生活は、それによっていっそう孤立し、いっそう個人化してしまう。そして私たちは、公的空間と私的空間の区別を失い、家庭の中にいて寛ぐといった感覚を脅かされている。

二人は対談の中で、テレ・テクノロジーの加速が現実の領土が形作る国家や市民といった伝統的なコンセプトを解体する「脱地域化」プロセスを検証する。そしてそういったプロセスが「プチ国家主義」と呼ぶことのできる自己や家庭への回帰をもたらす一因となっているが、それは私たちの社会を潜在的な危険に陥れているのではないかと考える。

l       Philosopher par accident  - Entretiens avec Elie During 『偶然に哲学する』

Bernard Stiegler  Elie During 

Galilee ;  broché ; essai  ; 04/2004

l       Nietzsche et la biologie 『ニーチェと生物学』

Puf ;  broché ; essai  ; 03/2001

l       Passer à l'acte 『行動に移る』

Galilee ;  broché ; étude  ; 05/2003

l       De la misère symbolique  - L'époque hyperindustrielle T1『象徴の貧窮について―ハイパー工業時代 第一巻』 Galilee ;  broché ; essai  ; 03/2004

 マーケティング技術は個人の個人的な特異性や集団的な特殊性に手を触れ、象徴的なものを極端に貧しいものにしていく

 市場とマーケティングの統治によって、個人は消費者となり、その消費活動によって個人は特異なものへの審美的な愛着能力を失うのだ。

 こういった管理社会は欲望を失わせるところにまで到達している。というのも現代の生活様式は、工業製品をひたすら流通させなければならないからだ。

 社会は愛着心をコントロールし、人々は全面的な審美戦争に直面している。大規模産業によって、イメージ技術は世界の変貌の主要武器となり、非知の時代に広汎にみられる価値の低減化を進行させている。

 「この本は、消費者が消費物の方にリビドーを繋げることによって、もっとも重要なナルシスを破壊してしまったことに対する私の考察の続きです。そのことについては、『愛し、愛され、愛し合う』で展開しました。

 私たちの時代の特徴は、産業技術によって象徴をコントロールすることです。そこでは美が武器となり、経済戦争の劇場となっているのです。その結果、情報操作が経験に置き換わっている悲惨な状態が起きているのです。

 この貧窮は恥ずかしいものです。しばしば哲学者が「哲学者の一番大きなモチーフ、それはそれが政治哲学を作り上げている」(ドゥルーズ)と感じている恥ずかしさです。人間である事の恥辱は、まず今日、「管理社会」が生み出すような象徴の貧困によって引き起こされています。この点についていえば、少なくとも二巻にわたるこの著作は、ドゥルーズの管理社会論に対する後書きとなる注釈です。現代の時間の特異性を導いている歴史的な傾向を理解することを目的として、美学の系譜学の概念と一般的な音楽概念をスケッチしようと試みています。」

2004年3月27日の会見討論にて、ベルナール・スティグレール自身の発言から

l       Aimer, s'aimer, nous aimer  - A propos du passage à l'acte de Richard Durn

Galilee ;  broché ; essai  ; 10/2003

l       La catastrophe du sensible

Galilee ;  broché ; essai  ; 02/2004

l       Mécréance et discrédit de la croyance en politique

Galilee ;  broché ; essai          Nouveauté à paraître, indisponible à ce jour.

日本語で読めるもの。

「レジス・ドゥブレの信」広瀬浩司訳,『現代思想』4月号, 青土社, 1996, pp. 86-97;

「ルロワ・グーラン」暮沢剛巳訳,『現代思想』7月号, 青土社, 2000, pp. 68-74;

「リーディング・マシン」原宏之訳,『シリーズ言語態 3』東京大学出版会, 2001, pp. 275-302