パリのアート学校で出会ったミカエル・アムザラムとマティアス・オグスティニアックは、1992年にM/M Paris を設立する。それ以来彼らはグラフィックデザイナーやファッション・音楽・アートプロジェクト関係のアートディレクターとして一緒に働いてきた。彼らの長年のクリエイティヴな顧客や協力者には、ファッションデザイナーの山本耀司、ジル・サンダー、ジェレミー・スコットやミュージシャンのビョーク、ザ・マイクロノーツ、バンジャマン・ビオレー、更に最近ではマドンナなどがいる。アートの世界におけるM/Mの仕事は、ポンピドゥーセンターやパリ東京宮のような美術館から、フィリップ・パレノ、ピエール・ユイグのようなアーティストとともに協働したり展覧会を開いたりする活動にまで及んでいる。この二人とともに彼らは2001年パリ、エティエンヌ・マルセル・カフェのデザインを手がけた。M/M Paris は、自由な形と厳密に計算された構成とを組み合わせて、全く予想も出来ないようなグラフィックのアプローチを行って来た。彼らはそれぞれのプロジェクトを仕事の依頼者との「会話」であると考えている。
 芸術家であることはもはやその作品によって決まるのではなく、むしろ彼らが都市のネットワークや国際メディアに対してどのような関わりを持つかによって決まる。余暇の過ごし方が現代生活のシステムに組み込まれていくのに従って創作活動が民主化されていくと同時に、芸術は通俗化し、最終的に大都市へと集中していくことになる。大都市というのは、一定した質の高い創作活動の実現と同様に資金調達の機会を保障する一方で、あらゆる儀礼上の諸規則からの解放を可能にする唯一の空間なのだ。
 造形作家、グラフィックデザイナーなどの芸術家の社会保障金庫として彼ら自身の手によって1952年に創設された「芸術家会館」は、主に公務員と賃金労働者で構成される社会での芸術家の地位を要求している。なぜなら芸術家の仕事というのは普通の職業とは違って、24時間オフのないものだ。芸術家は創作活動だけではなく経済・情報環境をもうまく整えていかなければならない。実際の経済活動は実際の商業的関係を通じて決まってくるのだが、それは作品を売る時や給付金を受け取るときなどに限られており、あまりに機会が少ないので芸術家は多くの場合極度の困窮を強いられている。
 この金庫を機能させ、芸術家に都市に住む他の勤労者と同じ営みを歩ませるためにも、「芸術家会館」は芸術家の実態をきちんと定義するよう努力しなければならない。MMパリは、グラフィック作品を作ること、そして評判の美術館に接触を持つことによりグラフィックデッサンを芸術界に広め、そうすることによって、芸術とグラフィックデザインという2つの領域の間に厳格な境界やモデルを設定する姿勢に疑問を投げかける。アンディー・ウォーホルからネヴィル・ブロディを経て現在に至るまで、グラフィックデザイナー、芸術家、「ポップ・アーティスト」や「ポップ・スター」の区別は曖昧になっている。現在の我々の社会における芸術家の地位や仕事の現実とは何なのだろうか?
芸術家会館、副会長;画家
デザイナーとアートディレクター、「VOGUE NIPPON」「GINZA」「BRUTUS」「CASA BRUTUS」「STUDIO VOICE」等;gallery ROCKET

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6月20日:要約する   MM Paris   Maison des Artistes   Rocket
協力:
+81 雑誌    ahn.sang-soo  (MM photo used with permisson, from 「one.eye」series)

芸術家=画家/造形作家であるジャン=マルク・ブルジョアはパリ第一大学(パンテオン-ソルボンヌ)の芸術及び考古学学院の出身であり、1987年以降は絵画の仕事に専念している。ジャン=マルク・ブルジョアは自分の作品を発表するだけではなく、コラボレーションにも力を注ぎ、ピアニストでソリストのフランソワーズ・シャフィオとともにピアノと絵画の舞台パフォーマンスを行ったり、マルフロエ・パセドェがモビリ-イモビリ(動不動)カンパニー(ダンスとマルチメディア)で企画している舞台創作に立会ったりしている。また、複数人での展覧会を行ったり、公共の場で大勢の人を相手に創作を行ったり、若い公衆に語りかけたりしている。
パリで生活し仕事をしている。
2004年からは芸術家会館の副代表を務める。