ポール・リクール  1913-2005年  
本年5月21日に亡くなった哲学者ポール・リクールは、ほぼ一世紀にわたり、さまざまな研究領域に足跡を残しました。フランスでは解釈学と現象学の大立者として名高い彼は、同時に詩、歴史、言語あるいは法といった領域でも知性あふれた論議を繰り広げています。行為、人間の責任、記憶、赦し、時間そして正義といったことをめぐる思想家である彼は、思索の対象となるパラドクスの中心にいつも政治問題を置いています。市井の思想家である彼の思想を的確に言い表している言葉を引用しましょう。「私は他の人々に、私の後に生きていく人々に、生きている人々の時間の中で存在し、生存していくという私の欲求と努力を引き継ぐ仕事を委ねます」。

久米 博
日仏哲学会会長、 ポール・リクールの「解釈の革新」白水社、「生きた隠喩」岩波書店、「時間と物語」新曜社、「記憶・歴史・忘却」新曜社、等、翻訳
杉村 靖彦
(京都大学大学院文学研究科助教授、哲学・宗教学専攻)著作:『ポール・リクールの思想』(創文社、1998年)
フランソワ・ドッス
オリヴィエ・モンジャン
ポール・リクール、日本語で読める著作目録

Karl Jaspers et la philosophie de l'existence [en collaboration avec Mikel Dufrenne, preface par Karl Jasper] Le Seuil, Paris, 1947 / reed. 2000

Gabriel Marcel et Karl Jaspers. Philosophie du mystere et philosophie du paradoxe Ed. du Temps present, Paris, 1948

Philosophie de la volonte , 2 tomes:
Tome I. Le Volontaire et l'Involontaire Aubier, Paris, 1950 / reed. 1988
Tome II. Finitude et Culpabilite [regroupe L'Homme faillible et La Symbolique du mal, Aubier, 1960] Aubier, Paris, 1988

De l'interpretation. Essai sur Freud, Le Seuil, coll. 'L'Ordre philosophique', Paris, 1965

La Metaphore vive, Le Seuil, coll. 'L'Ordre philosophique', Paris, 1975 / reed. coll. 'Points Essais'

Temps et Recit, 3 Tomes:
Tome I. L'Intrigue et le recit historique, Le Seuil, coll. 'L'Ordre philosophique', Paris, 1983 / reed. coll. 'Points Essais', 1991
Tome II. La Configuration dans le recit de fiction, Le Seuil, coll. 'L'Ordre philosophique', Paris, 1984 / reed. coll. 'Points Essais', 1991
Tome III. Le Temps raconte, Le Seuil, Paris, coll. 'L'Ordre philosophique', Paris, 1985 / reed.. coll. 'Points Essais'

Le Mal. Un Defi ala philosophie et a la theologie, Labor et Fides, coll. 'Autres temps', Geneve, 1996

Soi-meme comme un autre, Le Seuil, coll. 'L'Ordre philosophique', Paris, 1990 / reed.. coll. 'Points Essais', 1996

Reflexion faite. Autobiographie intellectuelle Ed. Esprit, coll. 'Philosophie', Paris, 1995

L'ideologie et l'Utopie, Le Seuil, coll. 'La Couleur des idees', Paris, 1996

Penser la Bible, [en collaboration avec Andre LaCocque ] Le Seuil, coll.'La Couleur des idees', Paris, 1998 / reed. coll. 'Points Essais', 2003

La Memoire, l'Histoire, l'Oubli, Le Seuil, coll. 'L'Ordre philosophique', Paris, 2000 / reed.. coll. 'Points Essais', 2003

Parcours de la reconnaissance. Trois Etudes, Stock, coll. 'Les Essais', Paris, 2004


ポール・リクール : 行動の哲学者(フランソワ・ドッス著)

ポール・リクールの死は、現代の最も偉大な哲学者の死を意味することは確かだ。それは同時に謙虚で率直であった人物の死だった。というのも、いつも彼について回る苦行の果てに、すなわち巷で交わされている議論の争点をより明確にするために、彼独特の紆余曲折を経て、彼は第二の純真さを―彼の「驚く」力が如実に物語っているように―生まれたばかりの子供の純真さを探し求めていたからだ。そして彼にとって、それは2000年の文化遺産を持つ純真さであった。彼にとってこの第二段階の純真さは、文化の蓄積の結果であると同時に、他者に対して、革新に対して、より多くの正義に対して、より多くの人道性に対して、開かれたままでいるという心遣いを表すものだった。

彼には欠落していたものが一つだけあった。その欠落は、彼が万人に共通する思想を作りだそうという企てを追い求めていたとき、彼を並はずれた人間にしていた。彼は悪意や、人を傷つけようという欲望や、他人の不幸を願うといったことなど考えつくこともできない人だったのだ。それらは彼に数多くの失望をもたらすものだった。にもかかわらず、ポール・リクールは人間の誤りやすさや歴史における悲劇についての並はずれた思想家だった。とはいえ個人的な関係の中では、彼はどこにも悪意を見いだすことはない。というのも、議論の力への確信によって常に対話が勝り、真実が勝利すると彼は考えていたからだ。

聞き入り、問題に介入し、表出するという3つの契機で展開される意思表示は、彼の哲学の独自性を証明しているように思える。まず始めに他者への関心。自分のアイデンティティーを揺るがす危険を冒してさえ行われる相違の受け入れ、他者性の根本的な受け入れ。私たちは相違を通して思想を発展させていくのだが、彼は新しいものを発見しようと言う貪欲な嗜好に導かれて、それを精神的、肉体的疲労を乗り越えて実践するのだ。私たちを哲学史のテキストの迷路に導く無数の彼の手になる「読解」は、真実の一部を他者に認めることによって他者を信頼し、他者と同行しようとする心遣いを明らかにしている。しかし安易で甘ったれた誹謗中傷者たちがたちどころに賛否両論の秤にかけるのとは違って、その点に関しては、単なる追従者の態度ではない。というのも、リクールは他者の著作を読解するに際して、隔たりを明確にし、それによって自らの個人的な関与を明確に宣言し、あらゆる単純化や機械的な企ての追求に陥らないように彼を導く確信を改めて断言するからだ。この点に関して、彼は白か黒かといった選択の問題ではない関与の仕方を表明している。そうではなく最悪のものとそれほどひどくないものとの間で、最良のものと思える視点を肯定することを明らかにしているのだ。それは危険を引き受ける瞬間である。なぜなら積極的な問題への介入を行えば、必ず擁護する立場は行き詰まる可能性があるからだ。第三の契機を形作る時間は、理想的な統合をめざして、新しい内部矛盾を包摂したシステムとして形成される絶対知に、全てを統合化しようとする時間ではない。ポール・リクールは、それとは反対に、パラドクスに満ちた哲学を展開する。それは問題提起と緊張とを同時に抱えており、その緊張関係は、同じものと違うもの、普遍的なものと特異なもの、コスモロジックなものと身近なもの、物語と指示対象といったものを一緒に考える必要性をもたらすものだ。こうするために、彼は物語的なアイデンティティーといった概念や、自己の中に自己同一性と表象的自己との間の区別といった概念を生み出す。そしてそういった概念自身は、いつも不完全なまま、ことごとく、さまざまな緊張状態をまるごと考えるための媒介物となっている・・・

哲学の歩みの中で、ポール・リクールは範となるものを心に抱いていたのだろう。巷の争点を明確にし、民主主義的な議論を教えるために、全思想史の深みによって出来事を照らし出すという範を。メディアのライトから離れながら、同時にメディアに対して軽蔑を抱くこともなく、現実と適切な距離を保ち、常に現実に起きていることに答える彼は、斥候とも言えただろう。ポール・リクールは実際、基本的には意志の哲学がどのようなものでありえるのかについて書いた博士論文以来、行動の思想家である。彼の思弁的な努力は、人間の行動により多くの場を与えることであり、最終的にはいつも歴史の悲劇に打ち勝つ能力を主張することであった。彼はまさしく自分の時代に立ちつくす意志によって活性化された一つの思想を展開したのである。こういったところから、生の望みを徹底的に維持する彼の思想的努力が生まれ、その社会参加に向けた努力は極限まで、すなわち死の最後の瞬間に至るまで続けられたのだ。

ポール・リクールは、あらゆる見せかけのポーズや歴史的な目的論と共に、システマティックな思想を放棄した。そしてそれらに代わり、出現する現象や、充足することのない不完全さに注目する。そこから「穿孔の論理」が生まれた。ポール・リクールはこの論理によって、それぞれの研究の中に未解決のまま残されている問題の「残留物」を再び取り上げ、自らの新しい問題群としたのだ。しかし決してそれは独我論者の論理の中で展開されるわけではない。それはコンテキストに対応する共時的な論理の中に、そのつど差し挟まれる。固有の対話のポジションを自らに与え、実存主義、構造主義、解釈学、分析哲学といったものを横断しながら、人間は事物ではないことを断言し、人間の行動を期待の地平が休息する潜在的な可能性の中で考えるべきだと断言する。リクールは大陸哲学(フッサール、ガダマー)とアングロ・サクソンの分析哲学との間の素晴らしい渡し守であった。その点で、彼は貧窮化するあれかこれかの両刀論法から私たちを救い、さらに説明すればよりよく理解できるという展望をそれに代わってもたらし、思想と内省の新時代を予測したのだ。現在を考えることと未来を予示することの組み合わせ模様の中で、彼は懐疑論と運命論と戦うための仕事をした。そしてその都度、人間の責任を優先させた。リクールの考える社会は、彼の考える個人と同じように期待や希望という企てや地平を持たずに済ますことはできない。こういったことから、彼が過去に割り当てた意味が生まれる。過去とは将来の建設への潜在的な資源であり、より調和に富み、より正義にあふれた共生生活の資源となるものだ。いつも決然と未来の方を向いている彼は、「期待の地平が経験領域と融合してしまうことを妨げる」解放機能を持つという点で、ユートピアという考えを擁護していた。すなわち、さまざまな目的論的な世界像の喪葬は、私たちの過去の明るみにでなかった様々な可能性の再検討をすることによって、私たちが共有する未来のプロジェクトを鋳造し直すチャンスとなりえるのだ。
フランソワ・ドッス 、パリ、2005年6月